昭和53年に地元の大分県大分市に拠点を構え、以来45年に渡り売買仲介事業を中核に賃貸仲介事業や賃貸管理事業など不動産事業に注力されている株式会社豊後企画集団の代表取締役 佐藤洋様にインタビューさせて頂きました。
佐藤様には、不動産業界に入られるきっかけや事業継承、ここまで規模拡大を実現した方法、そして豊後企画様が今後目指す方向性についてお話いただきました。
不動産業に入ったきっかけ
Q.もともと不動産業界で働かれていたのですか?
もともとは不動産業界ではなく旅行代理店の株式会社エイチ・アイ・エスに勤めていました。
一度だけ、父親から大分に戻ってきて会社に入らないかと言われましたが、当時の私は不動産業界に進む気はありませんでしたので父親の誘いを断りました。
それから、大分や福岡の支店を経て、語学力を買われ長崎・佐世保エリアで支店長を任されることになりました。
支店長には営業管理・経理・人事管理・ボーナス査定など様々な業務があり、経営者のような仕事をしていました。その中で、1店舗の利益を出すことの大変さを知り、経営者である父親のことを考える機会が増えていきました。
「なぜ今の自分がいるのか」と人生を振り返ったときに、父親が一生懸命に会社を経営して、自分を育ててくれたから今の自分がいる。そんな中、自分がやりたいことだけを貫き、父親が一生懸命働いて、今の自分を作ってくれたきっかけの会社を「やりたくない」という一存だけで何もしなくていいのか?という考えが芽生えて、父親の不動産会社を継ぐ決意を固め「エイチ・アイ・エスを辞めて一緒に働く」と父親に伝えました。
そこで、以前父が大和ハウスに勤めていたということもあり、2004年6月に私も大和ハウス工業株式会社に入社し、約4年間勤務し修行しました。それが不動産業界に入ったきっかけです。
事業承継について
Q.事業承継には何年ほど時間をかけたのでしょうか?
10日間です。父親が亡くなってしまったのが理由です。
2007年の4月1日に豊後企画集団に入社して、4月11日に父が心筋梗塞で亡くなったんです。
なので、私が父親と一緒に働いた期間は10日間しかありませんでした。
前の晩にホテルで一緒にお酒を飲んでいて、夜中の1時頃に父親が楽しそうに飲んでいる後ろ姿を見て部屋に戻ったんです。
寝付けずに3時くらいまで起きていると、フロントから父親が倒れたという電話が入り、慌ててフロントにおりたら担架で運ばれる父親がいて、一緒に救急車に乗って病院に向かいましたが、病院で息をひきとりました。
そこから、株主総会など様々なことを進めて、9日経ったころに社長に就任しました。
ですので、私は一般的な事業継承ではなかったんです。
Q.事業承継の際に最も大変だったことは何ですか?
人ですね。
やはり、父から急に経営者が変わるということもあり、社内での反発はありました。
役員とは以前から考え方も違っていたこともあり、会社の方向性や考え方が異なる役員は皆辞めていきました。
また、もともと売買仲介からスタートした会社なので、一般の社員達もブローカーのような人材の集まりでした。そのため、今後の会社の方向性等の話し合いができる社員がおらず、このままじゃまずいと感じたので、会社を作っていく仲間を集めるために、社長就任した1年後から新卒採用に取り組みました。
新卒採用を始めて2年間が経過するころには、もともといた社員達はほとんど辞めていましたね。
経営の中で重要視していること
Q.ここまで成長させるまでに取り組んでよかったと考える施策は?
ベースとして大きいのは新卒採用です。そして、人が少しずつ安定してきたとき、事業について考えるようになりました。
新卒採用の若い社員にとって、より多くの経験や知識が必要な売買仲介は難易度が高く、会社を作るという意味でも、賃貸仲介・賃貸管理を強くしなければ、若い社員のロールモデルを作れないと感じていました。そこで、賃貸仲介・賃貸管理の強化を進めるために、まずは「入居率アップ」を目指しました。
私たちは、入居率の向上を図るため「完全0賃貸」に着目して取り組みました。その結果、私が社長になった段階で管理戸数が1500程度だったのが、完全0賃貸に注力してから5000戸を超えるほどまで伸ばすことに成功しました。
周辺に完全0賃貸に取り組んでいる会社がなく、弊社だけが入居率を大きく伸ばしていたことで、完全0賃貸とこう入居率が弊社の強みとなり、より多くのオーナー様から信頼を得ることができました。
「新卒採用」と「完全0賃貸」、この2つの施策が会社の成長に大きく影響したと思います。
Q.管理で安定した後さらに業績を伸ばすために取り組まれていることは?
管理を基盤として、今までは単なる不動産仲介会社だったのが、いかに1つの案件から収益を最大化させるかという目線に切り替えていって収益構造を劇的に変えていこうと今取り組んでいる最中です。
その中でもソリューション系の事業は特に重要視しています。
ソリューション系の事業は管理という安定基盤の上で、更に利益を出すことができるので、しっかりソリューションを伸ばし、社員に還元していくようにしています。
Q.新卒の育成で最も重要視していることは?
「キャリアデザインをいかに描ける会社であり続けられるか」を大切にしているます。
キャリアデザインを描きやすい環境にするというのはもちろんですが、私としては自分のキャリアデザインを自分で描くようにしてほしいと思っています。
会社が手取り足取り誘導するのではなく、ヒントを散りばめつつ、自身でキャリアデザインできるような人を育てていきたいと考えています。
弊社は旅行事業や教育事業もあるので、やりたいことがあれば、なんでもチャレンジしてほしいです。
Q.会社を経営する上で大切にしていることについて教えてください
理念経営と人的資本経営の2つを特に大切にしています。
人材は資本だという考え方を持ち、社員に向き合う事。それは経営理念やパーパスにも掲げているので、その考え方をいかに社員に浸透させていくか、そしてその理念に賛同してくれる方に入ってきてもらえる採用方法や経営をしています。
事務所の改装について
Q.事務所の改装で特にこだわったポイントは?
大きく変わったのはフリーアドレスを導入したことです。以前は全て固定席でしたが、現在は事務スタッフを除いて全てフリーアドレスで業務を行っています。
また、全員が見通しの良い事務所をつくるために、社長室もガラス張りにしています。
理念や会社のことを社員に浸透させるために各部屋に想いを込めて名前を付けています。
VIPルームは先代社長の名前である「譲」ですが、私は「ゆずルーム」と呼ぶこともあります。
全管協総研について
Q.全管協総研に求めていることはありますか?
現在は、インプットをする機会は多くありますが、結局は受け取った企業がどこまでアウトプットできるかが肝心だと思います。
ですので、これからは最新情報を発信・提供するだけでなく、情報を加工してどこまで落とし込めるかという点でサポートを強化するのが重要だと感じます。
今後の野望
Q.今後の野望を教えてください
「不動産×地域課題の解決」に注力して、自社の存在感を出していきたいと考えています。
管理戸数や店舗数、仲介件数などの数的な「差」は努力で埋まると考えています。しかし、「違い」は埋まらない。この違いをどのようにして出していけるのかを重要視していきたいです。
また、社員が胸を張って自社の取り組みを言えるような会社にするのが目標です。
経常利益が10億円あったとしても、社員が「うちの会社は経常利益が10億もあるんです」と誰かに話すかというと、話さないと思うんです。社員が会社について聞かれたときに「うちの会社はこういったことをしています!」と胸を張って言える会社にすることが今の目標です。
株式会社豊後企画ホールディングス
代表取締役 佐藤 洋 氏
大分県別府市出身。中学、高校では野球に打ち込み、埼玉県の獨協大学に進学。その後中退し、英ロンドンのチチェスター大学に進学し、卒業後は株式会社エイチ・アイ・エスに入社。語学力を買われ佐世保支店で店舗運営を任される。不動産会社を継ぐ決意を固め、2004年6月に大和ハウス工業株式会社に入社し07年3月まで勤務。
同年4月に株式会社豊後企画集団に入社、社長に就任。
〇趣味:ゴルフ、旅行、温泉